SEEDS:VOICE 寄附者の声 39年、自分を育ててもらったお礼に 芦澤博氏 1975年 千葉大学着任/フィールドセンター事務長

SEEDS基金の記念バッジをいつも胸につけていらっしゃる芦澤氏。教育学部、工学部、教養部、理学部、園芸学部、文学部……。数々の学部の職員として、現在はフィールドセンター事務長として、39年間千葉大学と千葉大生を見つめ続けてきた。定年を前に、どんな39年を過ごされてきたのか、芦澤氏だからこその視点でお話ししていただいた。

社会人として初めての就職先が千葉大学でした。まずは、教育学部で附属小学校の事務として働きました。朝、「風邪をひいたから休みます」という電話を受けるところから始まって、トイレットペーパーの補充やらいろいろなことが業務でしたね。
小学校で3年ほど働いたあとは、すぐに他の学部で教務事務を担当しました。
入試業務や成績管理、卒業判定などが我々の重大な業務。「この単位が足りないですよ」というのを計算して出さないといけないんですね。いまはコンピュータがやってくれるからいいんですが、当時は手作業だったからもう大変で(笑)。一つ間違うだけで、その人の卒業、ひいては人生に関わってくるから本当に気を遣いましたね。

学部は、亥鼻キャンパスの学部以外は大体まわりました。だから、それぞれの学部の特徴は、他の人よりよくわかっているかもしれません(笑)。でも、千葉大の特徴と言われたら、難しいですね。ただ、39年いても、ぜんぜん飽きなかったんですよ。不思議なんですけど。この場所や人が好きなんでしょうね。

学生とのいい思い出の一つは、10年くらい前に、留学生課にいたときのこと。学長から留学生センターに「外国に行ったことのない学生を外国に連れて行くプログラムを作ったので、実施してくれないか」と言われたんです。センター長や留学生課長と相談して、英語も話せない、なかには飛行機に乗ったこともない学生を募集・選考してアメリカの大学に連れて行って、交流活動をしたんです。それがきっかけとなって、学生から「外国に行って日本を振り返ることが重要だと気がついた」と話してくれて。「大学のお世話にならず、今度は1人で行ってくる」と言っていた学生もいましたね。

思えばいろいろなことがありました。東日本大震災のとき、合格者に被災地の方がいて、お姉さんが千葉に住んでたんですね。入学手続きに期限があることを心配したお姉さんが電話をしてきて、「本人の安否が確認できるまで待っていただけますか」と。しばらくして、本人から一通のハガキが送られてきて、「私は、生きてます」というメッセージがありました。差出人の住所はなくて、「○○避難所」とだけ書かれていて。あのときのハガキは、本当に忘れられません。

この環境健康フィールド科学センターは、「環境」と「食」、「健康」をキーワードに教育研究活動しています。
事務部の業務の一つで、柏の葉キャンパス内にある農場や校外農場で生産した野菜、花、果物、苗木などや加工品を直売所での販売や出張販売をしています。また、キャンパス内には植物工場もあるんですが、ここで育てられたレタスは洗わなくていいし、芯もすごく小さくつくれて、捨てる部分が少ない。すごくエコなんです(笑)。

SEEDS基金は、平成19年の発足時から寄附をしています。少しずつですが、ずっと続けて、数年前には記念バッジをいただき、この3月にけやき会館の1階に名前を刻んだプレートを掲示していただけるまでになりました。大学の施設に名前が残るのは嬉しいですね。
39年千葉大学で働いて、労働の対価としてはお給料をいただいているわけなんですが、自分を育ててもらったという感謝の気持ちが大きいですね。教員の方や学生さんと一緒にいろいろな世界を見て、いろいろな経験をさせてもらったなと思っています。寄附は、そういうお礼のようなものですね。
使い道はとくに指定はしません。とにかく、学生さんのお役に立てたらいいなと思っています。
図書館も素晴らしく生まれ変わりましたし、最近では「イングリッシュ・ハウス」というものもある。昔から比べると格段に設備は整っているので、そういった環境を活かして千葉大学で立派に育ってほしいと願っています。

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