SEEDS:VOICE 寄附者の声 誰もが伸びる場として 大野隆司氏 1965年 工学部写真印刷工学科卒 千葉大学名誉教授/千葉大学SEEDS基金推進委員/千葉大学学生相談室 相談員

千葉大学名誉教授の大野氏は工学部・大学院での教育の第一線を退かれたあと、本学のSEEDS基金推進委員や学生相談室相談員として、日々千葉大学の発展に力を尽くしている。穏やかな話し振りや品のある振る舞い。その真摯なお人柄のなかに真っ直ぐで熱い想いが見えてくる。若き日の大学生活での思い出、さらにSEEDS基金推進委員の一人として、この寄金によせる想いをお伺いした。

生まれは東京の葛飾です。家は農業をやっていました。昭和14年の生まれなので、物心ついたときは、ちょうど戦争の真っ最中でしたね。疎開先で学校から帰る途中に空襲警報がでて空を見上げたら、こちらに飛行機が降下してくるのが見えて、あわてて近所の神社に友達と逃げ込んだことがありました。あとで恐る恐る戻ったら、道に銃弾のあとがあり、薬きょうが転がっていました。大変な時代でした。

戦後は、家で作った野菜などを秋葉原にあった市場まで、父といっしょに運んだりしていましたね。高校は夜間で昼間は農業を手伝っていました。母が教育熱心で、これからの時代は大学に進学することが必要と父を説得してくれ、昼間の高校に入りました。大学受験では失敗し、浪人をしました。4年遅れで千葉大学に入学しましたら、高校の後輩が先輩になっていました。

私が入学した工学部写真印刷工学科は、ユニークな学科で、千葉大学は首都圏の人が多かったのですが、この学科は全国から人が来ていましたね。戦後の復興期・高度成長期で、当時、カメラは輸出の花形でした。工学部は就職にも有利でした。
入学すると先輩に、のちに著名な写真家になる荒木経惟さんなどがいて才能を持った者が多かったですね。

カメラの勉強ができると思って入った学科ですが、写真の感光理論や現像などの化学の勉強が主体だと知り、悩みました。友人の助言で、とにかく勉強するだけしてみようと思いました。そのうちに面白さに目覚めていったんですね。友人に感謝しています。

卒業後は大学院に進もうと考えていたときに、指導助教授から大学に残らないか、という話があって、悩んだ末に残ることに決めました。ところが数年後、学科内の人事異動で学生時代に苦手だった先生のところに配属になってしまいました(笑)。この先生が定年退官後に、学生時代に敬遠していた先生が教授として私の上司になりました。これも運命なんでしょうが、不思議なもので、この先生が私を助手から講師、助教授、教授と引き上げてくださいました。

専門は、材料を中心とした写真化学です。フィルムなどの感光材料や処理液、色再現性あるいはゼラチンの基礎研究などをやってきました。そうして65歳で退官するまで千葉大学で過ごすことができました。

SEEDS基金設立時にSEEDS基金推進委員になりました。事務方の人達が一生懸命に仕事をしているのに感動しました。それで寄付を致しました。

東日本大震災のあと、本学へ入学予定だった方が2名もなくなっていると聞いたときは本当に心が痛みました。SEEDS基金でも大震災で被害を受けた学生を支援するとのことで、寄付を致しました。

千葉大学に入学した学生さんが大学生活を送るうちに悩みが生じる時があります。学生さんの悩みに対応するために、専門のカウンセラーと定年で退職した教員とが常駐する学生相談室が設置されています。私は悩みのある学生さんの話を傾聴し、カウンセラーの先生と一緒に考え、時には教員の立場でアドバイスをして、学生さんの悩みが軽減され、楽しい学生生活が送れることを願って、相談員をしています。

悩みもしたし、紆余曲折はありましたが、千葉大学はいい大学だという思いが強くあります。千葉大学は総合大学としていろいろな取り組みをやっています。素晴らしい先生方が沢山いらっしゃいますので、誰もが学び、伸びる可能性のある場になっていると思います。優秀な学生さんが多く、卒業生は、社会人になってもしっかりと仕事の出来る人が多いですね。まさに「底力宣言」にふさわしいと思います。いい意味で、もっと世の中に名の知れた人が出てくるといいですね。

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